#14 「心を支える茗荷谷クラブ」。

えみふるの堀田さんは、「障害者福祉とは違うかもしれないけれど、不登校やひきこもりの支援は、なんらかの“生きづらさ”を抱えている方を支えているという点で、似ているのではないか」と言った。 
 
わたしたちにとって、不登校やひきこもりという言葉は世に広く浸透している。しかし、そうした心の問題を支える人たちのことは、あまり知られていないかもしれない。公益社団法人の青少年健康センター、通称「茗荷谷クラブ」では、若者を中心とした方々が抱える心の問題に寄り添い、かかわりあう場をつくることで、社会とのつながりをサポートしている。文京区在住の利用者さんは全体の3分の1ほどで、県境を跨いでクラブへ顔を出す方もいる。また、利用者さんによって心の悩みは違うことから、活動グループも主に3つに分かれている。フリータイムが主な活動である「ゆったりスペース」、レクリエーションやコミュニケーションゲームを行う「ほっとスペース」、フリータイムに加えて、ソーシャル・スキル・トレーニングを行う「SSTグループ」。今回は、3つめのSSTグループの時間に茗荷谷クラブへ伺って、プログラムに一緒に混ぜていただいた。スタッフの方が用意したプログラムを、利用者さんとスタッフさん全員で取り組むという時間であった。

ぼくは、今回が初めての参加だし、日によって利用者さんもスタッフさんも異なるだろうから、それぞれ雰囲気も違うはずだとは思いながら、よろしくお願いします、とゆるやかな人の輪がすでに出来上がっていた部屋に伺うと、友だちの家に来たかのような雰囲気が流れていた。それはきっと、利用者さんが自然体でいられる雰囲気であった。スタッフさんも複数人いたけれど、無理に会話が流れているわけではなく、かといってあまりに沈黙なわけでもなく、仮に沈黙だとしても重苦しくはなく、気を使わなくてもいい、ただ仲間と一緒に時間を共有しているような、居場所と呼べる空間だった。スタッフさんの多くは臨床心理士や公認心理師の資格を持っている。それゆえに醸し出される雰囲気なのかなあ。スタッフさんからは信頼という言葉がピッタリとハマるような、あたたかさとつよさが感じられた。 
 
と、定刻をまわったところで今日のプログラムがはじまった。主題は「思ったことが言えない」という実際のシーンを、自分の過去の経験から思い出してみたり、例に沿ってグループワークで話し合ったりするものだった。たとえば、服を買いに行ったときに、店員さんに欲しくない服を強くすすめられたケースを想像してみよう。店員さんの話を上手く断るにはどうしたらいいだろうか。「必要ありません」と頭で考えたり、こうして書いたりすることは簡単だ。だけど、全ての人間が同じセリフを実際に言えるだろうか。店員さんが悪いわけでもないし、とにかく、自分の気持ちを伝えられたらいいのだけれど、ほんのちょっとした自分の中にある歯車がずれてしまったとき、言葉が出ない、沈黙が怖い、意に沿わないままに従ってしまう、といった結果になってしまい、それが一度、もしくは何度か積み重なってしまうことで、人と話すことそのものが、怖くなってしまう。だから、SSTのプログラムでは、自分の考えを人に伝えることに無理なく取り組む。全員が、発言者の考えに寄り添う。それを繰り返していくうちに、自分が抱え込んでいた対人関係への意識をほぐすことにつながる。◯◯さんの返答こそが正解、ということを求めるプログラムではなかった。今あなたが感じていることを、そのまま伝えられたらいいよ。今のあなたでいいよ。ということを、認めてもらえる場であった。明るい雰囲気でプログラムは終わって、最後にはその日に誰かがパッと選んだ曲をみんなで歌う慣習があるということで、スピッツの空も飛べるはずを歌った。 

その後、茗荷谷クラブのチーフスタッフである井利由利さんに話を伺った。全体の場をはじめ、今回ははっきりと人物の写真を撮っていないけれど、井利さんはやわらかい光のような方であった。井利さんと、「ひきこもり」という言葉について話をした。 
 
「ひきこもり、とひとことでは言えないですよね。たとえば障がいがあるのかどうかについても、グレーゾーンのような方、まだ未診断の方もたくさんいます。ハローワークに行って、何時から何時まで働けます。と言える方もいれば、それは自信がないという方もいる。限りなく白に近い人、限りなく黒に近い人、ほんとうにさまざまなので。ひきこもりについても、言葉は簡単ですが、決してひと括りには出来なくて。だからこそ、プログラムやコースをニーズに合わせてつくって、たくさん話を聞いてあげられたらと思っています」 
 
やはり、現場にいらっしゃる方の声はリアルだと思った。分かりやすい言葉の意味よりも、そういった悩みを抱える方々の、わたしたちが見ようとしていないところを、分かろうとして欲しいと、井利さんはそのまま、話を続けてくださった。これからの社会において、わたしたちは「人の心を受け取める」ということを、求められている気がする。 
 
「なぜひきこもりの方が社会に出られないのかということの中のひとつに、多分、周りが安定していない、周りが安心できないということもあるんです。周りが自分を受け入れてくれると思えない。排除されてしまうと。だから、まずは身近な地域が安心できる地域になればいいなあと思います」 
 
ひきこもり支援、というテーマだったけれど、「ひきこもり」という言葉のフィルターを通すことは、やはり違うのかもしれないという気持ちの方が、取材を経て強くなった。プログラムに参加していた利用者さんを見ていても、人によって雰囲気は違っていたし、それは、そもそも人の個性としてあるものだし、結局、そのことを突き詰めていくと、心の問題としての境界線は、あるようでないのではないだろうかと感じた。プログラムが終わったあと、「今日、面談お願いできますか?」という利用者さんとスタッフさんの会話もあった。井利さんをはじめとするスタッフのみなさんは、きっと心を支える上での簡潔な答えというものを持っておらず、ひとりひとりの利用者さんに対して、心の伴走を考えていた。そして、そのことをかっこいいなあ、素敵だなあと思うわけだが、わたしたちにだって、伴走の心構えは必要である。心の問題であり、境界線のない問題なのであれば、井利さんがおっしゃっていた「安心できる地域になって欲しい」という言葉は、わたしたちに対するメッセージだと思うのだ。 

「私が昨年担当したポコラート世界展のときも、障がいのある人、という形で元々紹介されている作家さんもいるのですが、私はそういう前提では見てもらいたくなくて。ですから、作家さんの中には障がいのある人もいれば、障がいのない人も、あるか分からない人も多くいました。厳密に考えてみれば、みなさんもそうだと思うんです。私たちがどのような障がいをどのように持っているのかって、ほんとうは厳密には分かりづらくて、曖昧な部分も多いわけじゃないですか。そもそも人間がそれを決めているわけで。だけど、展示を見に来てくださる一定数の方は、“障がい”と作品が、どう結びついているのかが気になってしまう。メディアの方にも、『この中に障がいのある方は何人いるのですか?』とよく聞かれました。分かりやすくなるからでしょうか。障がいのある人は何人とか、障がいのある人がどういう作品をつくるのかといったことが、理解する指標になってしまう。でも、その分かりやすさで見えなくなってしまうものもあるというか。分かりやすいことは分かった気にさせてくれます。作品を生み出す人たちを、障がいというごく一部の機能にフォーカスして語りきることができるのか。だから、そのことを伝えたくて、ポコラート世界展では障がいというニュアンスを最大限取り払い、作者たちの人生やその時間を過ごした環境などにフォーカスした展示にしました」

2022年7月26日 #14 「心を支える茗荷谷クラブ」。  写真と文章 仁科勝介(かつお)

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