#12 オフタイムな時間。 

月に一度開かれている、丸の内オフタイム倶楽部さんの食事会へ。活動の紹介文には簡潔に、以下のように記されている。 
 
“はじめまして。丸の内オフタイム倶楽部です。この食事会は当事者、ボランティア(福祉関係含)、etc。という分け方(役割)は有りません、皆メンバーです。マナーを守って食事をし、話をし「楽しかった、面白かった」と思っていただいて「また来よう」という気楽な気持ちで参加していただく食事会です。” 
 
のちに、オフタイム倶楽部のKさんは「この言葉が全てなんです」と仰った。 

当日、オフタイム倶楽部の活動で長く馴染みのある、とあるレストランにおいて、メンバーのみなさんが集まった。そして、一人ずつ短くお話を伺った。紹介文に書かれてあるように、全員がメンバーなのだから、全員にお話を伺おうと思った。 
 
みなさん、やさしかった。「いつからオフタイム倶楽部に参加されていますか?」の問いには、「2年半前」「5年前」「10年前」と様々。長く参加されていらっしゃる方も多いと知った。「2007年4月19日からですね」と日付まで覚えていらっしゃる方もいた。およそ月に一度開かれているこの食事会を、みなさん楽しみにしていることが段々分かってきた。すでに、知り合いになっている方も多いと知った。 

料理が届きはじめ、各々自由に食事が始まる。その間も、一人一人お話を伺った。Kさんにも同じように話を伺った。問いかけに「私は何もしていないですよ」とあっさり返したKさんは続けた。「この場は自由なんです。とにかく、自由に楽しんでもらえたら」そして、「でも、本当はここだけが、楽しみになってはいけない」「ここだけが、終点であってはいけない」と。重い言葉だった。一瞬、参加していらっしゃる方々への言葉に聞こえるようで、本当は、その範囲を越えたメッセージのように聞こえた。 
 
さらに、お話を伺っていくと、オフタイム倶楽部では、食事の場を提供してくれるレストランの店長の心意気で成り立っていること、そして、今まで多くの企業がオフタイム倶楽部に声を掛け、スッといなくなってしまったことを知った。「わたしたちは、来てくださる方を拒んでいないんです。しかし、残ってくれたのはレストランの店長‥‥。企業は社会貢献活動の都合に合うかどうかで‥‥」考えさせられるものがあった。 

食事も終わる頃、全体の場で近況報告が始まった。順番に、最近の身近な出来事を話していく。順番が回ってきた方が「こんばんは!」と挨拶すると、全体から「こんばんは!」とあたたかな声が返ってくる。「◯◯の仕事をがんばっています」「お出掛けに行きました」「また来月会いましょう」話が終わると、惜しみない、美しい拍手が送られる。ぼくも挨拶をさせていただいた。嘘のない拍手が嬉しかった。澄んだ湖面にいくつも水紋が広がっていくようだった。 
 
全体の近況報告が終わって、歓談のあと解散となった。みなさんは楽しそうに別れの挨拶を済ませ、また来月、と足取り軽く帰路へ着いていった。 

誰しも、やすらぎを求めている。ホッとできること。それは、どういう意味だろう。オフタイム倶楽部は、参加者のみなさんにとってのやすらぎの場であった。社会における「普通」がほんの少しだけ苦手な方々の、ひっそりと集まる明るい場であった。一方で、そのことをよくよく辿っていくと、この場があるということは、社会がそのようにさせてしまっている、ということを、否定できない。ぼくたちは意識的だろうが、無意識的だろうが、社会とはこういうものだ、と線を引いている。Kさんが仰った「ここに集まる人に分け方はない」「自由」という言葉。それはやはり、参加されているみなさんに対してではなく、ぼくたちへのメッセージに聞こえるのだった。 
 
この先、言い訳できないなと思った。変えるべき根は、ぼくたちの心にあるのだから‥‥。そもそも、「私はこういう人間です」と完全に分けることはできない。あくまで世の中には、社会全体をコントロールするための区分があって、というような普通の考えが、普通であってはいけない。という時代になった。と世間体は言う。しかし、まだまだだ。社会の仕組みを変えろと言うのではなくて、Kさんが仰った「自由」とは、わたしたちの心によってつくっていくものなのだ。オフタイム倶楽部に“ボランティアの方”“福祉関係の方”という分け方が存在しないのは、その思いの結実だ。わたしたちはすぐに、何かを区切ろうとする。だが、そうやって分かりやすく区切ったと思った時点で、フィルターがかかっている。ひとりひとりに心があり、個性という言い方をせずとも、みんな違ってみんないいと改めなくとも、わたしたちは全員違う、ということを、誰しも頭では分かっている。あるのは障がいという言葉よりも、心の障壁だ。だから、丸の内オフタイム倶楽部という、月に一度食事会が開かれている場がある、ということの先を思う。ぼくにできる生き方を、たくさん考えさせられた夜であった。 

2022年6月28日 #12 オフタイムな時間  写真と文章 仁科勝介(かつお) 

取材ご協力 
丸の内オフタイム倶楽部 

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