#21 第19回ゴールドコンサート決勝大会。

戦時中に手作りされた点字図書

有楽町駅と東京駅の間を高架線に沿って歩くと、まもなく東京国際フォーラムに着いた。ここで今日10月10日、第19回ゴールドコンサート決勝大会が開かれる。 
 
ゴールドコンサートは障がい者が出場する音楽のコンテストとして、2004年に始まった。主催はNPO法人の日本バリアフリー協会さんだ。7月には、代表理事の貝谷嘉洋さんにお話を伺っていた。決勝大会では全国から、そして今年はアジアからも、出場者がやってくる。いよいよ本番なのだ。しかしぼくもドキドキしている。ボランティアで撮影をさせていただくことになったからだ。

ステージ撮影は前職でたくさん怒られていたので、苦手な分野でもある。ただ、今回ご一緒したもう一人のカメラマンさんは、なんと第1回からずっとボランティアで撮影をしていらっしゃるとのことだった。普段は広告の写真を撮っている、バリバリの方だ。仕事で貝谷さんとおつながりができて、今でもそのご縁がつづいているのだと教えていただいた。その話を聞いて二人とも素敵だなと思ったし、ぼくも今日の撮影は思い切ってやろう、大丈夫だ、そう思えた。 
 
数時間前に会場入りしたとはいえ、会場はすでに事務局の方々、ボランティアの方々が忙しく準備に動かれていて、ステージもリハーサル真っ最中だった。率直に感じた気持ちは、「規模が大きいなあ!」。司会者のみなさん、ムービーのカメラマンさん、手話通訳さん、文字通訳さん、いろんな方が大会を支えていると感じられた。ぼくが見た景色以外にも、点字資料や音声の読み上げといった情報保障を支える方々もいるし、もっともっと、いろんなボランティアさんもいるのだろうなあと思った。 
 
あっという間に開場だ。お客さんも次々といらっしゃる。そして、観客席の一番前には、車椅子の方々もどんどんいらっしゃる。中段にも、車椅子用のスペースが広く取られてあった。会場の東京国際フォーラムはバリアフリーであり、それがあたりまえと言えるような場所だ。だから本当は「車椅子の方々が入れるスペースがあります」という言葉も、やがてはあたりまえになって、説明が不要になればいいな、という気持ちになる。

さあ、定刻通り始まった。司会者の方々による軽快なトークが心地良い。リハーサルのときに気づいたことだけれど、司会者のひとりである穴澤雄介さんは、全盲なのだと知った。そして、穴澤さんはバイオリン奏者として、過去のゴールドコンサートのグランプリなのである。しかも、今回初めての司会経験とのことだが、お話が本当に上手い。ぼくは台本をどうやって読んでいるのだろうと思ったりしたけれど、全ての原稿を事前に暗記されているとのことだった。かっこいいなあ。心から思った。

審査員の方々も入場だ。みなさん音楽のプロフェッショナルで、オーラも全開である。そして、貝谷さんのご挨拶があった。熱い言葉が溢れている。貝谷さんの根幹には、やはりブレないものがある。とご挨拶からも伝わってきた。ファインダーをのぞきながら、大きな会場の拍手の音を聞いた。 

8組の方々のステージが始まって終わるまで、あっという間であった。写真を撮っていてもいなくても、そうだったんじゃないかな。ひと組ずつパフォーマンスが終わると、審査員の方々の丁寧な講評があった。だからぼくは専門的なことを言葉にするような権限は全くないけれど、印象に残ったことが3つあった。

ひとつ目は、パフォーマンスの中には前向きなエネルギーと、後ろ向きなエネルギーの両方があったこと。オリジナルソングを歌って踊ること、目の見えない方が、会場の手拍子を誘うこと、耳の聞こえない方が、曲に合わせて(リズムを取る介助者を見ながら)ダンスを踊ること。自分ができないことではなくて、できることをパフォーマンスとして表現する、明るくて前向きなエネルギーが溢れていた。一方で、たとえばオリジナルソングの歌詞の中には、ただ前向きな言葉だけではなくて、抱えている悩み、切実さ、思いが、表現を構成する一部にもなっていた。嘘がないと思えた。それを感じて、かわいそう、なんて違う。そんなの知らない、って無責任だ。この気持ちは何だろうと心がざわついた。でも終わった後はみなさんやりきった! と全員明るい表情で、ぼくも思い切り拍手した。 
 
ふたつ目は、中国と韓国の方が来日されて、パフォーマンスが披露されたこと。そうか、表現の根源は言語によらないんだ。音楽もダンスも、バリアフリーだ。あらためてそう思えた。そして何より、素晴らしいパフォーマンスだった。 
 
最後に、審査員の方々の評価だ。的確で、厳しさもあった。いや、すなわち、とてもフラットであった。技術を評価の軸とするならば、障がいという立場を問わず、技術で評価するという強い意志があった。素晴らしいなと思った。これがゴールドコンサートの意義なんだ。同じステージで、同じように高みを目指す。審査員の方々の、最初に登場されたときのオーラを思い出して、ぼくはひとり納得した。 
 
最後には結果発表、表彰式があり、いくつかの賞が発表された。大きな拍手に包まれる。コンテストで表彰されることが、出場者のみなさんにとってもモチベーションになっている。この場はほんとうにフラットだった。

コンサートが終わって、帰りの電車で、しばし物思いにふけった。全国各地から集まり、アジアから海を越えて、大舞台でものすごく堂々としたパフォーマンスだった。ぼくがあのステージに立っていたら、堂々と何かできるかな。誰かと比べられることを気にするんじゃないかな。ぼくが「素晴らしいコンサートでした」って言うことも、おかしくはないけれど、それはどこか違う気がした。 
 
考えてみたけれど、素晴らしいと思うならば、それと同時に悔しさがいるんじゃないかな、と思った。一生懸命に練習をして、汗をかいて、大舞台で披露する。会場の方に喜んでもらうために、賞を取るために、何より自分のために。抱えているものがあっても、堂々と舞台上では立ち向かう。逃げられないステージの上にあがる。ぼくが舞台の下から自由に言うことは、そもそもずるいんだ。ぼくも曲がりなりに、写真家を名乗っている。表現することを仕事だと宣言して生きているわけだから、ほんとうはまったく同じステージにいるのだ。同じ表現者なのだ。ぼくは悔しいと思わなきゃ。それで、負けないように努力しなきゃいけない。ステージの上で戦わなきゃいけない。ひとりの人間として、どう生きるかだ。それって同じ舞台でしょう? 
 
パソコンを開き、写真を整理する。みなさんのパフォーマンスを思い出しながら、いいご縁をいただいたな、としんみり思う。ゴールドコンサートは来年で第20回の節目を迎える。ぼくも一年後の自分と向き合っていたい。

2022年11月8日「#21 第19回ゴールドコンサート決勝大会」 写真と文章 仁科勝介(かつお)

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