#24 エピローグ。

戦時中に手作りされた点字図書

『エピローグ。』 
 
月に2回、障害者福祉にまつわる取材をさせていただいて、あっという間に1年が経った。最初にきっかけをいただくまで、障害者福祉施設に行ったことはなかった。初めてえみふるさんに伺った日は、週に一度ほど行われるパン販売の日であった。えみふるさんは御茶ノ水のオフィス街にあるから、お昼に外の通りで販売をするのだ。その販売は職員さんだけでなく、利用者の方も売り子になっていた。 
 
いま思えば、えみふるさんに限らず、障害者福祉施設などを利用される方が、こうした活動に参加することは、ごく自然に感じられる。だけど初めてその場面に立ち会ったとき、売り子になっていた利用者さんの、つかみどころがないというか、純粋というか、素直というか、その姿がとても印象的だったことをよく覚えている。そのうちの一人はパン販売における店長とも呼ばれていて、最後にぼくとがっちり握手をしてくれた。このとき、人は心で付き合うものだということを、最初に教えられた気がした。 
 
そして、取材を通して障害者福祉をめぐるいろいろな活動、生き方、考え方を勉強させてもらった。記事を振り返ると自分でも驚く。しかし、そう言っておきながら、ぼくが取材を通して強く心に刻まれたことは、「障がいを簡単にわかろうとしない」「障害という言葉で簡単に括ることはできない」ということであった。それは決して、「自分には分からない」という意味ではない。 
 
その考え方は、特に第13回でポコラートについて、嘉納礼奈さんにお話を伺ったときに強いものになった。“ポコラート”は障がいの有無を問わず、人々が出会い、相互に影響し合う場の広い呼び名として使われている。その嘉納さんの印象深かった言葉を一部抜粋すると、下記のように仰った。 
 
「私が昨年担当したポコラート世界展のときも、障がいのある人、という形で元々紹介されている作家さんもいるのですが、私はそういう前提では見てもらいたくなくて。ですから、作家さんの中には障がいのある人もいれば、障がいのない人も、あるか分からない人も多くいました。厳密に考えてみれば、みなさんもそうだと思うんです。私たちがどのような障がいをどのように持っているのかって、ほんとうは厳密には分かりづらくて、曖昧な部分も多いわけじゃないですか。そもそも人間がそれを決めているわけで。だけど、展示を見に来てくださる一定数の方は、“障がい”と作品が、どう結びついているのかが気になってしまう。メディアの方にも、『この中に障がいのある方は何人いるのですか?』とよく聞かれました。分かりやすくなるからでしょうか。障がいのある人は何人とか、障がいのある人がどういう作品をつくるのかといったことが、理解する指標になってしまう。でも、その分かりやすさで見えなくなってしまうものもあるというか。分かりやすいことは分かった気にさせてくれます――」 
 
この、「分かりやすいことは分かった気にさせる」という言葉は、目が覚めるような衝撃があった。障がいを取り囲むいろんなことを明瞭にするためにつくられた仕組みがあることは、ある意味当然だと感じていた。しかしこのとき、社会上の仕組みがあったとしても、ほんとうに見なければいけないことは、その仕組みがあっても、ひとりひとりの人間なのではないかということであった。そして、いままでの取材先でもそうであったことに気づかされた。立場や活動の内容が違っても、どこかみなさん共通していた思いが、ようやく言葉として見えたように感じられた。すなわち、障害者福祉に関わる方々は、“社会の仕組み”と“ひとりひとりの人間”という境界線の狭間と、向き合っている。それ以降の取材でも同じように感じられた。 
 
「障がいは個性だ」と言う方もいれば、「障がいは個性ではない」と言う方もいる。そこに簡単な答えは出せない。だからその上で、「分かりやすい世界」よりも、「分かりにくいことを理解しようとする世界」が大切なのではないか。そう気付かされたとき、初めて「多様性」という言葉が自分にしっくりきたのだ。多様性とは、“分からない“ということを認めて、寄り添うことだ。 
 
そして、もうひとつ。1年前、えみふるさんと最初にお打ち合わせをしたとき、「自分たちは長く閉鎖的で、発信活動をしてこなかったんです」と仰っていた。しかし、いまえみふるさんのHPやインスタグラムを見ると、明るい活動風景がたくさん載っている。その自然体な様子は心が弾む。だから、いまその活動を拝見していると、自分が取材を通して学んだようなことを、えみふるさんはそのまま体現しているように感じられた。障害者福祉施設であることを、誇張することも隠すこともないこと。飾らないままの姿であること。えみふるさんの土壌があったからこそ、ぼくは記事を書くことができた。その土壌をつくることは、きっと簡単なようで難しいことだから。とてもありがたいことなのだ。えみふるさんはきっとこれからもこの型を、たくさんの方に届けてくださるのだと思う。 
 
終わりに、えみふる職員のみなさまをはじめ、取材をさせていただいたみなさまには、大変なご尽力をいただきました。この度お世話になったこと、心より感謝申し上げます。取材を通して、障害者福祉にまつわるたくさんのことを知るきっかけをいただきました。それでも知らないことの方が多いことを痛感します。そして何より得たことを、活かさなければならないと思うばかりです。 
 
また、記事を読んでいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。私よりも専門的な知識を有している方々に、読んでくださっていたのではないかと感じます。私はまだまだ世間知らずです。その上で、記事の内容には責任を持っております。今後ともご指導いただきたく思います。これからも写真や言葉を通して、垣根なく表現として伝えられることを増やせるよう、必ず努力を続けます。 
 
それではこの度は、ほんとうにありがとうございました。そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。みなさまどうか、良いお年をお迎えくださいませ。 
 

2022年12月27日「#24 エピローグ。」  写真と文章 仁科勝介(かつお)

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